ナースのストーリー02このページを印刷する - ナースのストーリー02

当院でもう一度はじめから勉強したいと思った

副看護師長

副看護師長
以前急性期の病院で勤めていた私は、長年の経験から、看護の技術や患者さんの苦悩を理解してきたつもりでいました。しかし当院で自分の意思が伝えられない患者さんに出会ったときは衝撃的で、言葉に出せない患者さんの想いを理解して支える看護を一から勉強したいという気持ちになったのです。
神経難病の患者さんの多くは、徐々に神経が侵されていく恐怖感と闘いながら、日常生活が困難になっていく不安や苦痛とともに生きておられます。誰もが当たり前にできることができない多くの患者さんを目の前にしたとき、そしてその方々の気持ちを理解してケアしている看護師に出会ったとき、自分の看護に対する考え方を問いつめられたような気がしました。「患者さんに触れながら一つひとつ勉強させていただきたい」それが当院に転職した時、一番に思ったことです。

相手を理解したいという気持ちが大切

言葉で意思を伝えられない患者さんを理解するため、私は「理解したい」という強い気持ちを持って患者さんに触れることから始めました。
あるとき出会ったALSの患者さんとご家族の話です。その方は全身の筋力が衰退し、唯一動くのは眼球だけであり、目の動きでコミュニケーションをとっておられました。毎日旦那さまが面会に来られていて、旦那さまをとおして患者さんの意思を確かめながらコミュニケーションをとるといった状況でした。そんなある日のこと、旦那さまが「あなただったら任せられる」といってお手紙を下さったのです。
その手紙には、患者さんのこれまでの生き様や、自分は妻の発病を早く発見できなかったという後悔の念、全身が動かなくても一人の人間として存在している妻を尊重してほしいという願いなどが長文で綴られていました。その手紙を見て、患者さんやご家族が持つ、誰にもぶつけることができない不安や苦悩は計り知れないほど奥深いということ、そしてその気持ちを理解して看護することの必要性を実感することができました。

看護の心は手から伝わる

以前、会話ができるパーキンソンの患者さんが、最終的には寝たきりになるとわかりながら生きる怖さを語ってくださったことがあります。そんな心の中を聴いたとき、その恐怖感を本当に理解することは容易ではないけれど、そんな気持ちを持っておられる人たちを看護する私たちにできることは、心を込めてケアさせていただくことだと思いました。
ある患者さんは「痛みのある時に看護師さんがさすってくれたのを忘れない」と、何年も前の出来事を(アイコンタクトの文字盤を使って)話してくださいます。「何かできることはないか?」と考えながら心を込めてケアする看護師の手から、想いは相手に伝わるものだと思います。体位変換、排泄援助、そんなケアをするナースの手は患者さんにメッセージを伝えているのです。口では「わかるよ」と言っても、患者さんはナースの手から本当の心を見抜かれています。だから「看護の心は手から伝わる」というのを肝に銘じて看護してほしいと願います。

現実に目を向けて生きることを支えたい

神経難病の患者さんの看護に必要なのは、今だけをみるのではなく、これまで生きてこられた歩みを知り、この方がこれからどう生きていくことが望ましいのかを患者さんやご家族とともに考え、希望を見出せるように支えることです。未来を考えるとき、辛くても現実に目を背ける事は出来ません。残されている時間を有意義に生きることを考えるには、現実を受容することが必要であり、そのプロセスをサポートするのは本当に難しいものです。でも私は、その難しさが神経難病の患者さんに対する看護の醍醐味でもあると感じ、その醍醐味を一人でも多くのスタッフに感じてほしいと願っています。
「もっと出来ることはないだろうか?」「残されている機能を最大限生かす方法は?」と患者さんやご家族とともに考え「生きる」ことを支える看護。これを当院のスタッフとともにこれからも続け、患者さんとともに歩んでいきたいと思います。