ナースのストーリー04
看護の楽しさを実感
看護師
私が看護師になろうと思ったのは、両親の勧めもあり、私自身も人の役に立ちたいという思いがあったからです。そして、看護師を目指し、看護学校に入学しました。看護学生時代の実習で、筋ジストロフィー症の患者さんを受け持たせていただくことがあったのですが、コミュニケーションをとるときは指先一つで操作するパソコンでの会話でした。患者さんが操作しやすい体位をとれるように援助するのは難しかったのですが、自分なりに工夫し、そのOKが出た時、看護の喜びを感じました。
また、全身が動かず呼吸器をつけておられても、日の光を浴びられるよう車いすやストレッチャーで散歩にお連れする看護師さんの姿を見て感動し、私も神経難病の方たちに寄り添い、難病と闘いながら生きることを支える看護がしたいと思うようになりました。
そこで、神経難病の医療や看護に取り組んでいる病院を探し、訪問看護があり、入退院から在宅療養まで継続して患者さんを看ることのできる宇多野病院に就職を決めたのです。働き始めた頃は、看護師の責任の重さや神経難病の患者さんとのコミュニケーションの難しさに悩むことも多かったのですが、宇多野病院はアットホームで、教育体制も整っており、少しずつ患者さんのことも理解できるようになって、看護の楽しさを実感できています。
また、全身が動かず呼吸器をつけておられても、日の光を浴びられるよう車いすやストレッチャーで散歩にお連れする看護師さんの姿を見て感動し、私も神経難病の方たちに寄り添い、難病と闘いながら生きることを支える看護がしたいと思うようになりました。
そこで、神経難病の医療や看護に取り組んでいる病院を探し、訪問看護があり、入退院から在宅療養まで継続して患者さんを看ることのできる宇多野病院に就職を決めたのです。働き始めた頃は、看護師の責任の重さや神経難病の患者さんとのコミュニケーションの難しさに悩むことも多かったのですが、宇多野病院はアットホームで、教育体制も整っており、少しずつ患者さんのことも理解できるようになって、看護の楽しさを実感できています。
退院を見据えた看護
私が心に残っている患者さんとの出会いは、びまん性レビー小体病の患者さんとその夫です。その方は在宅で夫から介護を受けて生活していましたが、病気の進行とともに、夫の介護負担は増加し、介護放棄の状態になってしまいました。その結果、肺炎と褥瘡を発症して入院となりました。しかし、夫は入院中、毎日お見舞いに来られ、おむつの交換や体位変換などを看護師と一緒に行い、天気のいい日には車椅子で病院内を散歩されていました。私は、そんな2人の姿を見て、「夫婦愛」を感じたのです。そこで、私にできることは何か考えました。
まず、その方が入院前と同じような状況にならないよう、夫の介護負担を減らすために医師、訪問看護師、夫ともおむつ交換や体位変換などについて話し合い、よりよい在宅療養が送れるように決めていきました。
また、嚥下状態も考え、胃瘻を造ることになりました。胃瘻により経管栄養での食事摂取になったため、夫の介護負担は軽くなりましたが、その方法をマスターしなければなりません。そこで、私は経管栄養方法のパンフレットを作成し、退院までの間、夫とパンフレットを一緒に見ながら、実際に援助していきました。また、病棟の中で、統一したケアや指導が行えるように日々実施して欲しいことをチームで話し合い、記録に残しました。最初はどのように行っていいのか分からず戸惑うこともありましたが、チームのスタッフから意見をもらいながら、取り組むことができました。そして、実践したことについての夫の反応を看護記録に記載してもらい、私が勤務していない間も計画的、継続的に指導が行えるように話し合いを行い、評価・修正を繰り返しながらチームのスタッフ全員で関わっていきました。
夫は最初、介護において不慣れな部分が多くありましたが、「おうちでも、しなあかんからなー」と前向きに頑張り、退院前には一人でできるようになっていました。そして無事に退院され、在宅療養の生活が始まりました。
退院された後、お二人が安心して家に帰れるように看護ができたのかと振り返ってみると正直不安でいっぱいでした。しかし、先日、訪問看護師を通してお二人が自宅で元気に生活されていること、また「ご主人がパンフレットを大切に持って、それを見て頑張っておられる」ということを教えて頂き、私の行った看護が少しでも患者さんや家族の役に立つことができたのかなと感じ、今後も「退院を見据えた看護」を心がけていきたいと思いました。
まず、その方が入院前と同じような状況にならないよう、夫の介護負担を減らすために医師、訪問看護師、夫ともおむつ交換や体位変換などについて話し合い、よりよい在宅療養が送れるように決めていきました。
また、嚥下状態も考え、胃瘻を造ることになりました。胃瘻により経管栄養での食事摂取になったため、夫の介護負担は軽くなりましたが、その方法をマスターしなければなりません。そこで、私は経管栄養方法のパンフレットを作成し、退院までの間、夫とパンフレットを一緒に見ながら、実際に援助していきました。また、病棟の中で、統一したケアや指導が行えるように日々実施して欲しいことをチームで話し合い、記録に残しました。最初はどのように行っていいのか分からず戸惑うこともありましたが、チームのスタッフから意見をもらいながら、取り組むことができました。そして、実践したことについての夫の反応を看護記録に記載してもらい、私が勤務していない間も計画的、継続的に指導が行えるように話し合いを行い、評価・修正を繰り返しながらチームのスタッフ全員で関わっていきました。
夫は最初、介護において不慣れな部分が多くありましたが、「おうちでも、しなあかんからなー」と前向きに頑張り、退院前には一人でできるようになっていました。そして無事に退院され、在宅療養の生活が始まりました。
退院された後、お二人が安心して家に帰れるように看護ができたのかと振り返ってみると正直不安でいっぱいでした。しかし、先日、訪問看護師を通してお二人が自宅で元気に生活されていること、また「ご主人がパンフレットを大切に持って、それを見て頑張っておられる」ということを教えて頂き、私の行った看護が少しでも患者さんや家族の役に立つことができたのかなと感じ、今後も「退院を見据えた看護」を心がけていきたいと思いました。
家族とともに患者さんを支えていきたい
神経難病の患者さんは入退院を繰り返されることが多く、病院だけでなく、在宅での療養生活も大切になってきます。そのため、患者さんを支えていく家族は重要な存在です。私は、看護師として入院されている方はもちろんですが、一緒に生活を共にし援助者の一人となる家族への負担を軽くし、家族と共に患者さんを支えていきたいと考えています。
また、私自身、訪問看護にも興味があります。患者さんのことを24時間看ることのできる病院とは違い、在宅では家族にも合わせた療養生活を考えなければなりません。今までの経験を活かし、これからも多くの患者さんや家族と向きあい、共に歩んでいきたいです。