ナースのストーリー05このページを印刷する - ナースのストーリー05

宇多野の素敵な看護

副看護師長

副看護師長
私が将来の進路を考え始めた頃は、これからは女性も働く上で資格が必要になると言われ始めた時代でした。私の祖母が看護師だったということもあり、看護師もいいかなという思いで、看護師を目指すようになり、宇多野病院の看護学校に入学しました。卒業後は宇多野病院に就職して、6年間働き、その後、他の病院や看護学校に勤めました。
しかし、他の病院で働いていると、患者さんとじっくり関わるというのは難しく、管理職としての業務に追われる日々が続きました。そんな時、宇多野病院で働いていた時のことを思い出したのです。
宇多野病院では、神経難病の患者さんが多く、急性期の病院とは違い、ゆったりと時間をかけて患者さんと関わることができます。年単位で長く付き合っていくので、患者さんとスタッフお互いが分かりあえる関係を築き、寄り添いながらケアをしていくこともできます。さらに、宇多野病院は人に優しいスタッフばかりで、そのスタッフたちと共によい雰囲気の中で働けることも宇多野病院の魅力だと思います。
この宇多野病院に戻ってきて、宇多野の看護のすばらしさを改めて実感しています。

患者さんに寄り添う看護

私が今までで一番印象に残っているのは、看護学生時代に受け持たせていただいた筋ジストロフィーの患者さんです。
その患者さんは20代前半で、呼吸器をつけておられましたが、油絵を描くのが好きな方でした。私は、患者さんがかすかに動く指先で持つ筆に絵の具をつけたり、絵を上下左右に動かしたりと、絵を描くお手伝いをさせていただきました。その援助を通して、患者さんと一つのものを作り上げるという喜びと、学生ながらも少しはお役に立てているという実感が湧きました。また、関わっていく中で少しずつお互いが分かりあえる関係を築くこともできてきたのかなとも感じていました。
しかし、私が実習中のある日、その患者さんの弟さんが亡くなられたのです。弟さんも筋ジストロフィーの方でしたが、まだ車椅子で動けるような状態でしたので、本当に突然のことでした。実習生の私は、「どうしよう」「患者さんはどう思っているのだろう」とあたふたするばかりで、患者さんにかける言葉も見つからず、ただそこにいることしかできませんでした。
そういう時は一人になりたいと思う人も多いと思いますが、患者さんは私を拒否もせず、ただ黙っていらっしゃいました。そして、時々「鼻かんで」とおっしゃられたので、私は鼻にティッシュを添えました。普段はこんなことおっしゃられないのに、何故だろうか?と不思議に思っていましたが、2,3回やっているうちに、泣いておられることが分かりました。
弟の死という大きな出来事を受け入れつつも、私を拒否するでもなく、そこにいさせてくれた患者さんの偉大さに感動したのを今でも覚えています。私はその当時はそこにいただけだったかもしれませんが、今振り返ると、その患者さんの心の変化に時間と場所を共有しながら寄り添えていたのではないかと思います。
その出来事があって、私は「患者さんに寄り添う看護」をしたいと思うようになりました。仕事としてだけではなく、一人の人間対人間として心が通い合い、寄り添える関係性が看護には必要だと思います。

「バトンタッチ」できるチームを

現在私は、筋ジストロフィー病棟で勤務しています。患者さんは長期間入院されているので、こだわりや個別性も多いです。しかし、私は自分の「患者さんに寄り添う看護」という信念の基に、できる範囲内で最大限その人らしさを尊重しています。時には、うまく伝えることができない患者さんの代弁者となり、話を聴くとなったときには時間をかけてゆっくり関わることを心がけています。これからも患者さんと心を通わせ、寄り添いながらともに歩んでいきたいと思います。
ひとりの看護師としては、「患者さんに寄り添う看護」ということを目標に、患者さんのそばにいて、ケアをしていきたいという思いが強いのですが、管理者という立場としては、自分の理想の看護を個人で終えるのではなく、スタッフの手を借りてチームとして取り組む必要があると思います。
神経難病の患者さんは長期入院される方が多いので、一人の人がずっと関わることができるわけではありません。そのため、私が今まで学んできた様々なことをスタッフに伝承し、関わる人が変わったとしても、患者さんにとってよりよい看護が行えるよう次の人へ「バトンタッチ」できるようにして、いつまでも患者さんに寄り添っていけるようなチームを作りたいと考えています。